ライン

紹介

ライン

和田神社の由来

    

 斉明天皇、天智天皇、天武天皇のいずれの御世かとされる白鳳4年に、創祀されたと伝えられています。 その後、八大龍王社や正霊天王社、などと時代の移り変わりとともに呼び名も代わり、明治維新のころに膳所藩主の令達により、現在の名前、 和田神社になったと言われています。

 壬申の乱から間もない頃、湖に暮らす人々の安寧を願ってここに「海津見(わだつみ)の神」が祀られました。
 いつからか、祀られる祭神の名にちなんで、この地は和田浜や和田岬と呼ばれるようになりました。
 湖に桜の吹き入る頃は、膳所を愛した芭蕉が湖上から社とイチョウの大木のある和田岬を眺めたこともあったでしょう。
 この地に散った木曽義仲や天下を手にした信長が、湖面の強い照り返しを受けながら、社の前の道を通りすぎたかもしれません。
 山々の木々が赤く染められる頃、金色の塔のようにそびえ立つ大イチョウは、関ヶ原の戦の後、捕らわれた石田三成がつながれたという言い伝えが残っています。
 和田神社の和田という名には、海津見(わだつみ)の神以来の歴史と和田浜に暮らしてきた人々の思いが込められています。

・主祭神 ・・・・・・・ 高龗神(たかおかみのかみ)
・主たる建物 ・・・・・・・ 本殿 拝殿 収蔵庫 神饌所 社務所 参集殿
・神紋 ・・・・・・・ 五七桐
・境内社 ・・・・・・・ 稲荷社 天満宮 山神社
・境内地 ・・・・・・・ 743坪



               
重要文化財 本殿

   
 


 檜皮葺
(ひわだぶ)
きの一間社流造(いっけんしゃながれづくり) という社殿で、正面には軒唐破風のきからはふ をつけているのは県内でも珍しいと言われています。 鎌倉時代後期の建築で、側面のかえる股などに時代の特徴が現れています。





大津市天然記念物 イチョウ

樹齢約650年。樹高約25メートル、県下でも例を見ないほどの巨木で、 形もよく、かつては湖上を行く船の目印になったと言われています。 関ヶ原の戦いに敗れた石田三成が京都に護送される途中、 このイチョウにつながれ小休止したという言い伝えが残っています。






 
平成24年11月末のイチョウ写真  今年も見事に色づき、境内には黄金の絨毯が敷き詰めらたようでした。
12月初旬には全部散りました。


 
      冬のイチョウ                参道


 

    
Copyright (C) 和田神社. All Rights Reserved.